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実は誰のせいでもない
- 2月19日
- 読了時間: 2分
実は誰のせいでもない
── それでも、優しさは残る
人と人がぶつかるとき、
私たちはつい「誰が悪いのか」を探してしまう。
言い方が悪かったのか。
タイミングが悪かったのか。
相手の性格なのか。
けれど、少し時間が経って振り返ると、
実は“誰のせいでもない”ことも多い。
みんな、そのときの精一杯で生きている。
余裕がなかっただけかもしれない。
守りたかったものがあっただけかもしれない。
正しいと思う道が違っただけかもしれない。
ぶつかり合いの中にあるもの
衝突の瞬間は痛い。
誤解は心を削る。
けれど、その過程で見えてくるものがある。
不器用な優しさ。
伝わらなかった気遣い。
言葉足らずの思いやり。
完璧ではないけれど、
そこには確かに“優しさの種”がある。
責めるより、拾い上げる
責めることは簡単だ。
正しさを振りかざすのも簡単だ。
でも、
その出来事の中から
「優しさの痕跡」を拾い上げられる人は強い。
それは我慢とは違う。
見て見ぬふりでもない。
一段高い場所から、
物事を見られるようになったということ。
職人の現場でも同じ
現場でのすれ違い。
段取りの食い違い。
感情がぶつかる瞬間。
でも、よく見ると
みんな“良いものを作りたい”だけだったりする。
誰のせいでもない。
ただ、未熟さや余裕のなさが
衝突を生むだけ。
その過程に優しさを見つけられるかどうかで、
空気は変わる。
最後に
世界は完璧じゃない。
人も完璧じゃない。
それでも、
ぶつかり合いの中に
優しさは確実に落ちている。
拾うかどうかは、自分次第。

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